三島屋変調百物事続 2 宮部みゆき
人は、身体を動かしていると物思いを忘れる。だからこそおちかは働きたがったのだし、同時にそれは厳しく躾けられ使われる事によって己を罰したい、罰してほしいという切実な願いでもあったろう。伊兵衛とお民は、くどくどとおちかを説いたり、腫れ物に触れるように扱ったりはしなかった。苦労者のこの夫婦には、そんな振る舞いは空しく(むなしく)、最初から通じやしないと分かっていたからである。
夫婦はおちかの望むように、女中として働かせる事にした。どうしたっておちかのつらい過去を詮索(せんさく)したがるであろう口さがない若い女中たちには暇を出し、物慣れた女中頭のおしま一人を残して、おちかがせいぜい忙しがれるような舞台まで整えてやった。こんなときには、本人がしたいようにさせるのが一番の薬だ。
このごろお民は、おちかが闇雲に吉助の後を追ったりせず、我が身を攻めるあまりに病みついたりもせず、事のおこった場所を離れて江戸へ出てきた事を、大手柄だと考えていた。どうしてなかなか、この娘は芯がしっかりしている。いっそしぶといと言ってもいい。それはまったく、悪い事ではない。
悲しい事があったからといって、その度に死んでいたら命がいくつあったって足りない。おちかの身におこった事は度はずれた不幸だが、不幸比べをするのなら、世の中にはもっと過酷な事だってあろう。それでも生きていくのが人という物だ。おちかなら、きっとそれを体得する日が来るだろう。
一方の伊兵衛は、叔父が年若い姪を案じている訳だから、さすがにお民ほど剛胆(ごうたん)には割り切れない。この辺りが男と女の差でもある。磊落(らいらく)なふうを装ってはいても、思い詰めたようにきりきり働いて日々を過ごすおちかを見れば、彼の胸は傷んだ。
何かもう少し、してやれる事はないか。そんな折、たまたま伊兵衛の招いた客を、おちかがもてなさねばならぬことがあった。夫婦によんどころない急用が起ったからである。客は、伊兵衛の碁敵であった。